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新野高校の沿革



 新野高等学校の前身である「徳島県立那賀農林学校」は昭和18年に男子校として設立されました。時は第二次世界大戦真っ只中。産業の軍需化が進み、森林伐採が次々と行われるなか、地元を支える農業・林業を守るために農林学校をつくろうと新野地域の人々が声をあげたのがきっかけでした。しかし、翌年には戦争の影響で授業が1年間にわたり中止となります。生徒は勤労動員され、学校の運動場は芋畑として徴用されました。
 終戦後、学校は再開。3年後には学制改革により校名が「徳島県那賀農業高等学校」となり、さらにその翌年には高校再編成により校名を「徳島県新野高等学校」と改め、普通科・農業科・林業科を設けて、総合的に学べる場としました。現在の校名「徳島県立新野高等学校」になったのは昭和31年のことです。
 昭和30年から40年代にかけては設備の充実に力を入れ、農業管理室や林産製造室ができたり、鉄筋校舎や礫耕(れきこう)ハウス、家畜舎などが建てられました。
 平成15年には、昭和60年に編成された生産流通科と産業技術科、普通科を統合し、総合学科が誕生しました。平成24年度からは総合学科のなかを4系列(自然科学・人文芸術・アグリクエイト・情報ビジネス)に分け、各分野に特化した授業が構成されています。
 総合学科に変わってもなお、学校設立のきっかけとなった農業に対する実直な取り組みは続いており、阿南市役所や阿南警察署へ生徒らが育てた花のプランターを提供したり、道路の路側帯に花を植える「花いっぱい運動」を年3回行ってます。また、汽車通学の生徒が毎日自主的に新野駅の掃除をするなど、周辺住民から喜ばれています。
 部活動は、春・夏1回ずつ甲子園へ出場した硬式野球部の活躍が光ります。平成4年の春の大会では名門横浜高校に勝利を収め、平成8年の夏の大会では3回戦まで進出しました。
 文化部はバイテク部の活躍が目を引きます。伊島に咲く絶滅寸前のイシマササユリの種子からクローンをつくって球根にし、伊島に移植する保護活動を約30年以上続けています。生徒たちはこの保護活動を通して、環境問題や自然保護に関する意識を高め、地域の人との関わりの大切さを学んでいます。
 このような歴史をもつ新野高等学校ですが、生徒数減による高校再編の流れのなかで、平成31年度から阿南工業高等学校と再編統合し阿南光高等学校となることが決定しています。